自分のものさし
我輩は文旦である。
皮を剥いても、皮だけでも、文旦である。
そんな文旦にハマったある芸能人の影響で果物屋さんで文旦を見つけて買ってしまったのである。
適当な雰囲気もありながら何周も回って理解出来ることがたくさんある人。
なぜ文旦?
憧れてはいないものの、所ジョージさんは只者じゃないのはご承知の通りですが、そんな人が文旦を食べるでもなく皮を剥いてる。
毎日。
4月ぐらいまで。
総合計200kgぐらいになるんじゃないかな?
と、言っていた。
やってみよう!
皮をいただいたことはあるんですが、やっぱり皮は剥かないといけないんだと思って買ってきたものの、いっこうに剥こうともしないで見てるだけ。
明日にしよう。
カカオ豆の皮を剥いていることで、”皮を剥く”ということがイヤになってきてるのか?
剥きたくないわけじゃないのに。
朝食にフルーツを食べるので、とうとうその時がやってきた!
を2日ぐらい続けてる(≧∀≦)
あかんたれや
皮を剥くことで何も感じなかったらどうしよう!何も感じなさそうなので怖いのか?それ^_^自分であっても受け入れたくない?
これがぼくの”ものさし”で、それを持って他人に押し当ててみたところで何も測れない。
何もわからない。
ただいつもピカピカに、磨き上げておかないといけないものである。
人には見えないものではあるけれど。
文旦は関係ない。
題名とは関係ない。